2007年01月06日
金曜日11・19問題
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□■ 平和の声 通信 NO319 2007年1月6日
■□ 本日の話題 ⇒ お詫び
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I N D E X
★★【格物致知】 人権侵害や差別
☆週刊金曜日(ウィキペディア)
☆集会で皇室中傷「週刊金曜日」が謝罪、あす掲載
☆右翼抗議 皇室劇中止の舞台裏・タブーに挑戦 下品さで自滅(東京新聞)
☆皇室風刺の舞台批判の「週刊新潮」 テロあおる・・・/月刊「創」編集長・篠田博之(ブログ・薔薇)
☆週刊金曜日の屈服と謝罪(12/22号)・・・・タブーなき言論の空虚さ(ブログ・薔薇)
☆週刊金曜日は他言無用なんて知りません(暇人凸撃隊)
☆「不敬表現」と「マスコミの力」(オーマイニュース・コラム)
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【格物致知】 人権侵害や差別
遅まきながら、
「金曜日・12/22−読者のみなさんへ−」を読んで驚いた。そして、改めて「12/1−11・19緊急市民集会報告−」も読み返した。相も変らぬフレーズ「ちょっと待った!」の集会報告は写真入りで詳しく報告されているではないか。この報告からは、参加者のみなさんに誤解や不愉快な思いを抱かせる「人権侵害や差別」につながる表現があったことなど微塵も記されていない。写真での報告は、壇場に上がった司会者を含め15名の各氏の誰一人、今回の「金曜日・見解表明」に至る状況認識を持つに至っていないと感じられる。主催者、当人責任ということで、各氏は与り知らぬということだろうか。しかし、各氏の顔ぶれを拝見すると、少なくとも、他の個人、団体等の指摘を受けて「人権侵害や差別」を知る立場の人ではないと推測する。従って、集会での大雑把な合意(意思疎通と簡単な打ち合わせ)が出来ていたとも憶測される。事実、時間軸が経過している。
主催者会議で「見解表明」を出す決定を判断したことはそれとして、参加者でない筆者が物申すのは如何なものかという趣を無視して敢えて述べる。今回の「見解表明」と他言無用の「詫状」は、2006年11月19日の出来事だったでは済まされない、日本人の天皇制に対する歴史的な決定的な「論議欠落」の再容認を駄目押しする結果を招いたと論じることができる。即ち、改憲問題において、憲法改悪を叫びながら、自民党草案の前文ならびに第一条を極力避けてきた、触らぬ神に祟りなし方式を取ってきた運動論に終止符を打つことになったということである。要するに、戦後一貫して天皇制の問題を棚に上げながら、反対勢力自身が自らなし崩し的に処してきた付けの総清算を代表して実践したと言える。また、文化人、知識人等さらに市民といわれる個人、団体の日本民主主義の程度を決定付けたと言っても過言ではない事件だということだ。従って、主催者ならびに出演コント集団は、今回の表明と詫状に対して批判もしくは糾弾に値するとの誹りを免れないことも念頭に今後を模索する必要がある。
先ず、表明への推考過程の説明、「本誌の言論とは直接の関わりがないが、・・・・・率直な見解を表明すべきだ」、また「パフォーマンスは全体としては温かな表現で、皇室批判を意図したものではないと思う。・・・・・パフォーマンスを続けてほしいという声もある。」等は、主催者として、また、常に「タブーなき、言論、表現の自由」を標榜する「週刊・金曜日」としては、思考経路の一部機能停止したものと考えさせられる。さらに、参加表現者各氏に対しても不信感を抱かざるを得ない。「見解表明」は明らかに主催者「金曜日」代表の皇室に対する見解と相容れないものがあり、市民的な問題解決への拙速論議でしかないことは理然としている。従って、参加表現者各氏ならびに主催者と参加市民の段違い的拙速論議の集会でどれ程の権力に抗する力が蓄積され、尚、弾ける力となって展開されるかは火を見るよりも明らかである。反対勢力から「ちょっと待った!」と抗議され、詫び入るようではとても国家権力に「ちょっと待った!」とはならない。所詮この次元での闘いの繰り返しでは、今後とも一向に勝利は目前と程遠い結果に終始することは見えている。しかし、だからと言って笑い種で終わらせてはならない。
今回の件で肝に銘じておかなければならないことがある。それは、殉死した江藤淳氏のいみじくも言い得ている「日本人は、検閲のない言語空間など一度も体験していない。この閉ざされた言語空間は今も別の形で維持されている。」この指摘に尽きていることだ。特に最近、規制緩和の落とし穴、巧妙な装置が作動してより一層表現空間を透明規制が強力に働くシステムができつつある。そして、透明規制の内で判断を余儀なくされる現在時間しか持ちえない個々人に力の蓄積は無理になっている。だからと言って、私達各自の覚悟が問われる追い込まれた袋小路の状況、事実を無視することは許されない。
下品さ
「ご皇室を敬愛される国民各位に多大な御不快の念をお与えしました。今後、ご皇室を寸劇でパロディーにしない由、堅く御約束申し上げます」、これで一件略着させた、そして、板垣恭介氏は「内容が天皇批判でも感じたことを表現するのは大いに結構だし、・・・・・自分も、場合によっては刺される覚悟で書いている。真剣な問題提起ではなく、抗議されてあわててやめるぐらいなら、最初からやるなと言いたい」で幕引きにしたいのが善良な市民というところであろうが、しかし、よく考えて頂きたい、抗議されてあわてて止めているのは、「他言無用」だけではなく、我々国民が既にとっくに止めているのが現実である。今回は最後までしつこく、ある意味で往生際の悪足掻きの結果と見ることができる。さらに、コント役者としての性もあろう、また、残滓となった声をこの時とばかりに汲み上げなければならないという気負いも手伝ってのパフォーマンスとも考えられる。それを寄ってたかって物笑い的に批判するその国民性こそ「下品さ」と呼べるもので糾弾に値する。何も、皇室を敬愛する国民の快の念だけが「上品さ」という定義の根拠はどこにもない。
時間軸の推移は全ての事柄、意味を変質させるものだ。今日、日本人は原爆の悲劇を自らの過ち的認識に変容を余儀なく決めその方向性で、原爆を投下した米国に対して戦争責任の抗議すら忘れてしまっている。それと同じように「人権侵害や差別」の根源的な問題のありどころを検証することも忘れるかたちで放棄している。
そこで忘れないように銘記しておく、国民である私達そのものが「人権侵害や差別」の対象であって、権力はこれらと無縁のものである。
最後に
「自民党新憲法草案 前文」の冒頭を読んで頂きたい。
『日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。
象徴天皇制は、これを維持する。』
即ち、これからは、私達たちが自らの意思と決意に基づき、象徴天皇制を維持していくという、国民各自の宣言になっているということだ。これまで9条改憲反対の声は聞かれたが、この草案前文反対の声は残念ながら皆無に等しかったように認識している。皆さん、本当にこの前文でよいのか。大袈裟に言う訳ではないが、この機会に論議しなければ実質的に「君が代」の世界になってしまう。
追記
上記しているように、今回は現場に立ち会っていない。基本的に「金曜日」の集会報告と表明経緯を読むところから始まり、それに筆者の真空管ネット上で得られる情報(投稿、掲載されているブログ等)を基に論じている。従って、参考になったブログ等を情報としてリンク掲載させて頂く。
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□ 配信 水と森と平和の声
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twwwa@mte.biglobe.ne.jp
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☆皇室風刺の舞台批判の「週刊新潮」 テロあおる・・・/月刊「創」編集長・篠田博之(ブログ・薔薇)
☆週刊金曜日の屈服と謝罪(12/22号)・・・・タブーなき言論の空虚さ(ブログ・薔薇)
☆週刊金曜日は他言無用なんて知りません(暇人凸撃隊)
☆「不敬表現」と「マスコミの力」(オーマイニュース・コラム)
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【格物致知】 人権侵害や差別遅まきながら、
「金曜日・12/22−読者のみなさんへ−」を読んで驚いた。そして、改めて「12/1−11・19緊急市民集会報告−」も読み返した。相も変らぬフレーズ「ちょっと待った!」の集会報告は写真入りで詳しく報告されているではないか。この報告からは、参加者のみなさんに誤解や不愉快な思いを抱かせる「人権侵害や差別」につながる表現があったことなど微塵も記されていない。写真での報告は、壇場に上がった司会者を含め15名の各氏の誰一人、今回の「金曜日・見解表明」に至る状況認識を持つに至っていないと感じられる。主催者、当人責任ということで、各氏は与り知らぬということだろうか。しかし、各氏の顔ぶれを拝見すると、少なくとも、他の個人、団体等の指摘を受けて「人権侵害や差別」を知る立場の人ではないと推測する。従って、集会での大雑把な合意(意思疎通と簡単な打ち合わせ)が出来ていたとも憶測される。事実、時間軸が経過している。
主催者会議で「見解表明」を出す決定を判断したことはそれとして、参加者でない筆者が物申すのは如何なものかという趣を無視して敢えて述べる。今回の「見解表明」と他言無用の「詫状」は、2006年11月19日の出来事だったでは済まされない、日本人の天皇制に対する歴史的な決定的な「論議欠落」の再容認を駄目押しする結果を招いたと論じることができる。即ち、改憲問題において、憲法改悪を叫びながら、自民党草案の前文ならびに第一条を極力避けてきた、触らぬ神に祟りなし方式を取ってきた運動論に終止符を打つことになったということである。要するに、戦後一貫して天皇制の問題を棚に上げながら、反対勢力自身が自らなし崩し的に処してきた付けの総清算を代表して実践したと言える。また、文化人、知識人等さらに市民といわれる個人、団体の日本民主主義の程度を決定付けたと言っても過言ではない事件だということだ。従って、主催者ならびに出演コント集団は、今回の表明と詫状に対して批判もしくは糾弾に値するとの誹りを免れないことも念頭に今後を模索する必要がある。
先ず、表明への推考過程の説明、「本誌の言論とは直接の関わりがないが、・・・・・率直な見解を表明すべきだ」、また「パフォーマンスは全体としては温かな表現で、皇室批判を意図したものではないと思う。・・・・・パフォーマンスを続けてほしいという声もある。」等は、主催者として、また、常に「タブーなき、言論、表現の自由」を標榜する「週刊・金曜日」としては、思考経路の一部機能停止したものと考えさせられる。さらに、参加表現者各氏に対しても不信感を抱かざるを得ない。「見解表明」は明らかに主催者「金曜日」代表の皇室に対する見解と相容れないものがあり、市民的な問題解決への拙速論議でしかないことは理然としている。従って、参加表現者各氏ならびに主催者と参加市民の段違い的拙速論議の集会でどれ程の権力に抗する力が蓄積され、尚、弾ける力となって展開されるかは火を見るよりも明らかである。反対勢力から「ちょっと待った!」と抗議され、詫び入るようではとても国家権力に「ちょっと待った!」とはならない。所詮この次元での闘いの繰り返しでは、今後とも一向に勝利は目前と程遠い結果に終始することは見えている。しかし、だからと言って笑い種で終わらせてはならない。
今回の件で肝に銘じておかなければならないことがある。それは、殉死した江藤淳氏のいみじくも言い得ている「日本人は、検閲のない言語空間など一度も体験していない。この閉ざされた言語空間は今も別の形で維持されている。」この指摘に尽きていることだ。特に最近、規制緩和の落とし穴、巧妙な装置が作動してより一層表現空間を透明規制が強力に働くシステムができつつある。そして、透明規制の内で判断を余儀なくされる現在時間しか持ちえない個々人に力の蓄積は無理になっている。だからと言って、私達各自の覚悟が問われる追い込まれた袋小路の状況、事実を無視することは許されない。
下品さ
「ご皇室を敬愛される国民各位に多大な御不快の念をお与えしました。今後、ご皇室を寸劇でパロディーにしない由、堅く御約束申し上げます」、これで一件略着させた、そして、板垣恭介氏は「内容が天皇批判でも感じたことを表現するのは大いに結構だし、・・・・・自分も、場合によっては刺される覚悟で書いている。真剣な問題提起ではなく、抗議されてあわててやめるぐらいなら、最初からやるなと言いたい」で幕引きにしたいのが善良な市民というところであろうが、しかし、よく考えて頂きたい、抗議されてあわてて止めているのは、「他言無用」だけではなく、我々国民が既にとっくに止めているのが現実である。今回は最後までしつこく、ある意味で往生際の悪足掻きの結果と見ることができる。さらに、コント役者としての性もあろう、また、残滓となった声をこの時とばかりに汲み上げなければならないという気負いも手伝ってのパフォーマンスとも考えられる。それを寄ってたかって物笑い的に批判するその国民性こそ「下品さ」と呼べるもので糾弾に値する。何も、皇室を敬愛する国民の快の念だけが「上品さ」という定義の根拠はどこにもない。
時間軸の推移は全ての事柄、意味を変質させるものだ。今日、日本人は原爆の悲劇を自らの過ち的認識に変容を余儀なく決めその方向性で、原爆を投下した米国に対して戦争責任の抗議すら忘れてしまっている。それと同じように「人権侵害や差別」の根源的な問題のありどころを検証することも忘れるかたちで放棄している。
そこで忘れないように銘記しておく、国民である私達そのものが「人権侵害や差別」の対象であって、権力はこれらと無縁のものである。
最後に
「自民党新憲法草案 前文」の冒頭を読んで頂きたい。
『日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。
象徴天皇制は、これを維持する。』
即ち、これからは、私達たちが自らの意思と決意に基づき、象徴天皇制を維持していくという、国民各自の宣言になっているということだ。これまで9条改憲反対の声は聞かれたが、この草案前文反対の声は残念ながら皆無に等しかったように認識している。皆さん、本当にこの前文でよいのか。大袈裟に言う訳ではないが、この機会に論議しなければ実質的に「君が代」の世界になってしまう。
追記
上記しているように、今回は現場に立ち会っていない。基本的に「金曜日」の集会報告と表明経緯を読むところから始まり、それに筆者の真空管ネット上で得られる情報(投稿、掲載されているブログ等)を基に論じている。従って、参考になったブログ等を情報としてリンク掲載させて頂く。
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